2013年10月18日 星期五

時間の意味


ここは、どこと思います?
你覺得這裡是哪裡呢?
ここは、お寺の臨時Wifiエリアでした。
這裡是某個寺廟的臨時上網區
Wifiって、なのためですか?
臨時上網區?要用來幹嘛?
最近、台湾は、インターネットで宗教百景の選抜投票活動があるので、
最近台灣正在舉辦網路宗教百景票選活動
この寺は、人気を集めため、このエリアを用意し、
這個寺廟為了衝高人氣而準備了這個臨時上網區
参拝に来る人達に提供して、投票させもらうつもりでした。
提供給來參拜的信眾可以順便為自己投票
投票してくれた人には、景品が手に入れます。
對這些有完成投票的人還提供的紀念品
そこまでも、大勢な人は
就算作到這樣了 大多數的人仍然用
“面倒くさい”“時間がない”と言うわけて、断りました。
好麻煩””我沒空等理由來拒絕配合這件事情

ある土曜日は旧暦の15日でした。
某個周六是農歷的15
お寺へ参拝に行かないと行けない日なので、行きました。
因為是一定要到廟裡進香的日子所以我就去了
よく、手一杯な病院の作業があって、参拝の時間は夜しか出来なかった。
通常因為醫院的工作總是一堆,能勻出拜拜的時間只有晚上
珍しい土曜日うえに、ちょっと仕事はそんなに込んではなかったので、
因為是難得的週六,更難得的事工作也還算不是很忙碌
午前中で、参拝に行きました。
所以刻意挑了中午前去拜拜

病院の中で、太陽や風でも感じられない恒温生活に慣れた私、
在醫院裡,習慣了感受不到日曬與刮風的恆溫生活
お寺への参拝路で歩いて、暖かい日差しと涼しいそよ風を味わっていました。
在前往寺廟的石板路上,感受起難得的暖日與涼風
参拝路は、新しい枕石の上に歴史感がある木ベンチがある。
石板路,在新的石板上放置了幾張看起來很有歷史感的木頭長凳
ただ今の私は記憶中の昔の私と同じ道を歩いて行きました。
現在的我也與過去記憶中的我一起在這條路上行走著
太陽の光線と風の軌跡が縦と横に交差していた織物の上に、
太陽光線與風的軌跡綜橫交織的卷軸上
私は、時間と足音を操って、めぐり織っていた。
我帶著時間與足音來回穿梭
こんなのんびりしていた私、本当に久しぶりでした。
這樣閒散的我,真的是很久沒見過了

お寺に踏み込んだと、確かに別世界に辿り付いた感じがされました。
但當我一踏入寺廟,我卻覺得我到了與剛剛截然不同的世界
慌ているや込んでいる姿、夢中や雑念している面影、気絶させる匂いなどが
或是慌張或是紛踏的人潮、或是專心或是雜想的面容、伴隨著令人窒息的氣味
私の目の前に掛け来ていました。
紛杳迭踏地衝向我而來
いやいや、これは安らぎに与える宗教場所と言うより、
要說這是個帶給人安祥的宗教場所
ビッグセールの催事場の方が適切な表現でしょうか。
更不如說是大促銷的拍賣場更貼切
土曜日なのに~お寺くせに~
明明就是禮拜六! 明明就是寺廟的!
こんな私は、パッと思い出したのは、もしかして、昔の私も
這樣的我不禁想起,莫非以前的我
この目の前の騒ぎの人影たちの一つでしたか?
也是如我眼前這一群騷動的人群一般嗎?
耳に寄せた他人の言葉は、ほぼ
充斥在耳邊的幾乎都是
“急いで、また他の用事があるから!”と言う発言でした。
快一點啦!等等還有其他的事情要作的話語
みんなの土曜日は、平日のように、猛ダッシュしていましたか?
難道大家的禮拜六也跟上班日一樣衝刺般的過活嗎?
おかみさまにもゆったりと時間を渡せたくないでしょうか?ケチですね~
就連給神明一些充裕的時間也不行嗎? 真是小氣啊
私に言わせれば、こんな参拝はなくでも同じでしょう。
要我說的話,這種拜拜方式不如不要拜好了
こんな態度で、神様の庇護を求められますか?
這種態度也好意思說要求神明的庇佑嗎?
こんな人達にとって、時間の意味はなんですか?
對於這些人來說,時間的意義是什麼呢?
あちこちで、ちょこちょこ散し舞りのは、効率と言えますか?
這邊那邊地到處灑一點,這樣叫做有效率?
平日なら言えるかも、休日までもそう過ごすと、
上班日也就算了,休假日也這樣子過的話
本当に休暇の意味がありますか?
那還叫做休假嗎?

このシーンを見て、病院の患者さんの無関心な態度も
看到了這樣的場景再回頭想起醫院中那些擺出不在乎健康的病人的態度
何となく理解し易くなってきました。
似乎就更容易理解了


2013年10月17日 星期四

台湾の祭りの二三事


三年前の夏、医局に派遣されて、台湾の南部、高雄の田舎、
三年前的夏天,受到家醫科的派遣,到台灣的南部,高雄的鄉下地方
田寮区へ医療勤務の支援に行きました。
田寮區去進行醫療勤務的支援。
赴任の初日、衛生所(註1)に
到任的第一天,衛生所就跟我說
”今日は、祭りのせいで、誰でも診療を受けに来ないはずから、帰ってもいいよ”と言われました。
今天因為有地方廟會的關係,應該不會有人要來看病,所以你可以回去了。
われわれ家庭医学専門医は、新たな地方で医療を始まる前、
對於我們家庭醫學科專科醫師來說,要在一個新的地方開始從事醫療以前,
地方の文化と生活習慣などを調査しないといけないと先輩から教えられたので、
一定要先對地方文化與生活習慣進行了解。
”帰ってもいい”と言われ私は、帰るより田舎散策に行きました。
所以雖然我是被講說可以回去了,我還是選擇到田寮鄉間走一走
そして、このキラキラな亀と出会いました。
於是才有機會目睹這隻金光閃閃的烏龜。

祭りと言って、地方にとって大事なお神さまの誕生日です。
說是廟會,對於地方來說其實就是重要神明的生日派對啦。
恩返すため、お寺の庭で、この亀の模様の献上物を用意します。
為了報恩,在寺廟的庭院裡,就會準備上這樣像烏龜一樣的貢品。
でも、これは献上物として存在だけではなく、住民への援助する意味も含まれています。
但是像這樣的東西不是只作為貢品,也同時有對地方居民援助的意味存在。
昔、このような亀は、米俵を使って、積み上げた。
以前像這樣的烏龜,是用米袋一袋一袋疊起來的。
これを欲しい住民達は、お神さまの前に請託します。
想要這些米的民眾,就必須到神明的面前去請託。
請託の方法は、”擲筊”(ジジャオ)と言われます。
請託的方式,叫做筊。
”筊”は、木や竹を使って、立体な三日月の形にする。
筊是用木頭或竹子所做成立體的新月狀。
陰面(裏)と陽面(表)がある同じ物を二枚にペアとしる物です。
成為具有正面與反面的兩件相同物體成為一對。
請託の時は、この筊(ジャオ)を地面に投げて、一枚は陰面、もう一枚は陽面になると、
請託的時候,把筊拋到地面,如果呈現一正一反的情況,
お神さまの同意を貰えるという意味になります。
就表示神明應允的意思。
この状態は、台湾で聖杯と言われます。
這個狀態,在台灣叫做聖杯。
ですから、簡単に言うと、住民達は、お神様の目の前に、聖杯のコンボ数を勝負します。
所以簡單說這些居民在神明面前就是在比誰可以連投出最多的聖杯。
一番多くなコンボ数がある住民は、この米俵の亀を貰えられます。
可以連投出最多聖杯的人,就可以領走這尊大米龜。
だたし、この住民は来年で、貰った量より多い米俵を提供するべきです。
但是這個贏家明年就必須提供比他領到的量更多的米袋。
ちょっと銀行の借金気味ですね。
所以有點像是跟銀行借錢的感覺吧!
でいう事は、年々過ごしつつ、この亀はだんだん大きくなっていきます。
於是乎理論上一年年過去,這尊神龜會越來越大。
でも、いつか大き過ぎる亀になる可能性があるので、
但是總有可能大得太超過,
ある米俵の値段と同じ他の代用品が現れた、画面のように、亀の上にある金の飾り物です。
所以就出現了等值於米袋的替代品,就像畫面上顯示的那些裝飾用的金飾了
一方、米俵を貰えるのは、お神様の祝福を貰えることと一緒なので、
一方面,能拿到這些米袋,也被認為能拿到神明的祝福,
この亀を求める動機は決して、”お金が欲しい”と言うことだけではありません。
所以說到去請託這尊神龜,絕對不是只是為了錢這樣簡單
何年前、ある外人は気を乗って請託したと、この亀を稼ぎました。
也曾有外國人覺得有趣就去請神龜,結果居然就賺到了這些東西
でも、この方は、翌年でまだ新しい亀を提供したのかな?
是說不知道這位幸運兒隔年是不是真的有來還呢?

機会があれば、台湾の祭りの面白さを体験してみませんか?
若是有機會的話,要不要來體驗看看台灣的廟會的有趣之處呢?

(註1)台湾の地方の衛生所は、日本の国保診療所と医療保健課を合併された地方医療単位と思います。