先生!ぼくはね、よく足が、骨折し易いの!これは、ぼくはバーガー好きと関係があるの?
(まだバーガーを一口しました)
醫生!我啊,常常腳會骨折耶!這該不會是因為我喜歡漢堡的關係吧?
(說著說著又吃了一口漢堡)
これは、関係ないでしょう!(だとしても、まだバーガー食うのがい?)
這....應該沒關係吧!(就算有關係,你不是還是吃著嘛!)
這....應該沒關係吧!(就算有關係,你不是還是吃著嘛!)
ときには、自分の仮説を検証したいので、健康診断を受けに来るお客さんがいます。
有時候,會有為了要證實自己的假設而來作健康檢查的客人。
医師にいわせれば、一般民衆の多数な仮説は、
而對於醫師來說,一般民眾大部分的假設,
医療的に、根も葉もない空想と思われます。
就醫療層面來講,都是空穴來風的幻想。
公的な医療保険は、もちろん仮設を破れる為に存在ではありませんので、
公家的醫療保險,當然不是為了要證實這些假設是錯的而存在,
医療的に非常識な仮説を検証したい場合、
因此在驗證醫療上不合理的假設時,
確かに、健康診断を利用することもおかしくないです。
選擇使用自費檢康檢查也是一種方式。
ですから、公的な医療保険が健康診断のニーズにたいして、ある程度の貢献があります。
因此也可以說公家的醫療保險反而對自費健檢需求擴大是有一定程度的貢獻。
(詳しく説明は、まだ別な文章で話します)
(詳細的說明在之後的別篇文章會再談)
でも、健康診断って、本当にその因果関係を立証できますか?
但是健康檢查真的可以去立論這些因果關係嗎?
多くの場合では、そんなに立派な事ができません。
在大多數的場合,是做不到這麼偉大的事情的。
医療的な因果関係の立証がかなり困難なことです。
醫療上的因果關係立論是相當困難的。
たとえ、過労死のような職業性疾患の立証から思えば理解できるはずです。
打個比方,想像一下像是過勞死這類的職業災害的認定就應該可以理解。
たまにも、健康検査により発見された疾患に対する治療や生活改善方法を説明する時、
偶爾,根據健康檢查報告,給予解釋治療或生活改善方法時
これについて、受検のお客さんは自分の生活の良くない部分をはまりたいです。
受檢的客人會自然地把自己生活上不好的一面去跟我們的解釋作賓果。
でも、このはまりたい気持ちのうらには、より一層な意味があります。
但是這種想要自己作賓果的背後,還有另外一層的意思。
それが、実は、この生活の欠点をもう分かったくせにまだ続けています。
那就是明明知道這樣做不好卻故意要繼續這樣過生活。
本当にそうすると、健康診断と受けたいという動機と矛盾になります。
若真的是如此,這就跟作自費健康檢查的動機是相互矛盾的了。
健康診断の目的の一つは、病気の早期発見と治療、病気の予防、そして健康促進です。
健康檢查的目的之一,是早期發現與治療、疾病的預防甚至是健康促進。
一方は定期的な健康診断を受け、一方は健康ではない習慣を保つということは、
而一邊作著定期健康檢查,一邊卻繼續過著不健康的生活,
健康診断を利用し、自分の悪い習慣が健康を壊す結果を確かめたがる悪趣味です。
這彷彿是故意用健康檢查去驗收自己的壞習慣把自己的健康搞壞到什麼程度。
自分の体にやさしくなるつもりではないとき、健康診断で使ったお金が無意味です。
如果沒打算要對自己的身體好一點,花錢作健檢是沒有意義的。
健康診断をするくらいなら、このお金を旅行や寄付などで使えばよりいいですね。
若是要這樣做健檢,不如把錢拿去旅行或捐款來得更好吧!
(つづく)
(待續)
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