2013年12月6日 星期五

健康診断って 09


台湾の高雄、毎年の年末で、アメリカのニューヨークのような、
在台灣的高雄,每年年底都會像美國的紐約一樣,
巨大風船のパレードが開催しています。
有巨大熱汽球的遊行活動。
パレードの路線の両側で、有料な観覧席があります。
在遊行路線的兩邊,都會設有附費的觀眾席。
毎回、このパレートを見に行っては、来年の観覧席を取ろうと思っていますが、
每次我去看遊行表演時,都會想說明年我一定要去做到觀眾席上,
取る方法がないので、今までも観覧席のいいどころを発見できませんでした
但是因為不曉得怎麼預約,所以到現在我還是沒機會了解觀眾席的樂趣
さらに、無料でもこのパレードを楽しめるが、いい眺めを取るため、
而且就算不花錢也是可以享受遊行的樂趣,只是為了取得一個好的觀賞點
もっと時間や努力を掛からないといけません。
就得花上更多時間與精力去佔位子罷了。
お金があるこそ、ある特定な利益が貰えるのは、この世のルールでしょう。
有錢就能拿到特定的利益,這是世間的通則吧!
でも、使い方法と意味が分からない時、お金や努力を使っても無意味ですね。
但是如果不了解使用的方式或意義,那這些錢或努力都是白花的。
健康診断もそうと思います。
說到自費健檢也是一樣的。

最近、”先生の言う通りなら、健康診断の意味は何ですか” と質問がよく聞こえます。
最近常常被問到如果照醫師你的說法,健康檢查的意義到底是什麼?
一言と言うと、待つ時間を短縮するためです。
簡單一句話,就是縮短等待時間而已。

健康診断と言うと、予防医学を語らないといけません。
要談到健康檢查,就得先從預防醫學說起。
予防医学は、三次予防の分類があります。
所謂的預防醫學,可以分成三個階段。
第一次予防は、疾患の予防です。
第一級預防,是疾病的預防。
予防の手段は、健康への啓発、健康増進、健康教育と予防接種があります。
預防的方式,則包含了對健康觀念的啟發、健康促進、健康教育與預防接種。
第二次予防は、重症化の防止です。
第二級預防,則是防止疾病的惡化。
病気の早期発見と早期措置、医療と合併症対策と言うことです。
包含了疾病的早期發現與早期處理、以及對於併發症的因應對策。
第三次予防は、疾病の再発防止と社会への復帰です。
第三級預防,則是防止疾病再發生以及回歸社會與日常生活。

これらの理論の下で、健康診断はどのくらい活用できますか?
利用這些理論,健康檢查可以怎麼來被使用呢?
第一次予防といえば、伝染病の予防接種
以第一級預防來說,就是傳染病的預防接種了。
ただし、健康促進の知識を得るのは、健康診断と掛かりません。
而健康促進與健康知識的獲得等等,並不是做了健康健查才能知道的事情。
予防接種の場合、抗体があるやなし次第に決めるので、検査しないと分かりません。
說到預防接種的必要性,就是要看有沒有抗體來決定,這倒是不檢查就不知道了。
懐妊や海外旅行する前の健康診断は前述のようなものです。
所以像是孕前健康檢查或是出國旅行前的健康檢查就是像這樣的目的了。

第二次予防は、重症化の防止です。
第二級預防的所謂疾病惡化的預防,
健康診断を受けたい人たちは、このような考えが一番多いでしょう。
這也是一般會想要來做檢查的人最常思考的事情。
一方、症状のないうちに、病気の早期発見するために、健康診断を受ける人がいます。
有的受檢者是在沒有症狀的時候希望能夠透過健檢早期發現疾病。
また、症状があいまい過ぎて、適切な検査が出来ていない場合や
也有在症狀比較曖昧模糊的時候,或是在沒有辦法接受適合的檢查的時候,
一気にするべき検査を受けたい場合や、検査の順番の待つ時間に耐えらないなどの時、
或是希望要一口氣把所有想做的檢查都完成,或是不想再繼續耗在排檢時間上,
健康診断を利用する事はいい考えと思います。
這時候利用自費健檢就是一個好主意。
これらは、私の言うように、健康診断の意味は待つ時間を短縮するためです。
所以就這個層面來說就是我所謂的,自費健檢只是在縮短等待的時間而已。

ただし、どちらの目標があっても、健康診断センターを信じる一方で、無計画のままで、
但是不管你的理由是什麼,卻只是沒有計畫地、一味地把決定全丟給健檢中心,
検査プランを選らぶ事だけで済められできません。
只是隨意地就挑了檢查套裝,這樣做其實是沒有什麼意義的。
最初から、ずっと強調している事の通りに、検査する前に医師と相談しないといけません。
所以一如之前不斷強調的,檢查之前還是要跟醫師討論不可。
くれくれ忘れないてください。
請千萬切記了。

(つづく)

(待續)

2013年11月10日 星期日

健康診断って 08


あの台湾の祭りの亀のこと、また覚えていますか?
還記得我們上次說的那隻台灣祭典裡的神龜嗎
この写真で、この亀の“成分”を書かれています。
這張照片裡清清楚楚地記載了這隻神龜的成分
貴方にとって、健康診断って、このような結果を見るために受けたいですか?
而對您來說,您也希望健康檢查的發現能像這神龜成分一樣什麼都知道嗎?
いやいや、もちろんたんぱく質が何グラム、脂肪が何グラムなどと言うものではなく、
當然我說的不是說,報告上寫著你的蛋白質有幾克、脂肪有幾克這種報告,
一目瞭然に、体中の問題などを全て判るように、健康診断を受けるつもりでしょう?
而是一目了然地可以把身體所有的問題都了解的這種健康檢查
でも、健康診断の効用はこんなに立派ですか?
但是所謂的健康檢查有這麼好用嗎

私には、特に心配している所がありませんが、ただ自分の体をもっと知りたいため、
對我來說,我沒有特別擔心什麼,只是想更了解自己的身體狀況,
この健康診断を受けに来ました。
所以才來做健康檢查
って、知りたいものと言うのは、具体的には何ですか?と伺われると、
當被問及那你所謂的想知道,具體來說是什麼呢?」
何でもりしたいですという返事が一番多いです。
最多人回答的就是我什麼都想知道
ならば、今回の健康診断の内容は、どのような検査があると分かりますか?
若是如此,今天的檢查項目都包含了些什麼你知道嗎?
正直に、よく分かりません。
坦白說,我不是很清楚。
では、これを受けると、本当に何も分かれますか?
那個你為什麼會覺得做了這些檢查就會什麼都知道呢
(無言)
(一片沉默)
こんなシーンは、毎日私の目の前で発生しています。
像這樣的場景,幾乎每天都在我的眼前發生。

病気や体にとって分かりたい物について、一番相応しい検査があります。
不管是疾病或是想知道的事情,都會有最合適的檢查。
さらに、それらの検査はほぼべつべつってあり、その特定な検査を受けないと、
而且這些檢查通常都是獨立的,你如果不做這個特定的項目,
必ず特定な診断を断言できません。
一定不能下這個方面的診斷
一般の医療で、医師は固定的な検査順番を従っています。
一般的醫療,醫師開立檢查會有固定的順序。
この順番は、各医学会が発表されたガイドラインで明記しています。
這些順序多半與各醫學會所訂立的醫療準則有關
ただし、ガイドラインの作成方は、医療面以外も経済面の思考も含まれているので、
但是這些醫療準則的訂立過程,除了醫療層面之外也思考了經濟層面,
有限の医療資源の中に最大限的な活用します。
總之就是要把有限的醫療資源做最好的利用
一方、健康診断という自腹検査はやりたい放題です。
但在自費健檢這裡卻是你想做什麼就做什麼的
さらに、多数の受検者はガイドラインの中に記録した典型的な症状がないので、
而且多數的受檢者根本沒有醫療準則裡所記載的典型症狀
とちらからというともガイドランの適用性外です。
不管從什麼角度思考自費健檢都有不適用於醫療準則之處
病気の発見も必ず案外なケースの方が多いです。
診斷疾病也常常都是意外的發現

まさに、発見できるのは、確率の問題しか言えません。
真的一切都只是機率問題
正々堂々な医療的な理論に嵌らない事になります。
無法用合理的醫學理論去解釋這些關連性
例え、重度な肝がんのケースには、肝機能検査で肝臓機能低下とかいろいろ発見が見られます。
好比說重度的肝癌患者常可以透過肝機能檢查發現肝臟功能受損
肝がん初期の場合は、肝機能検査では大体正常しか見られません。
但在早期肝癌的情況幾乎肝指數都是正常的
この時、肝機能検査で、早期肝がんを発見できるのは不可能です。
這時候你想透過肝指數檢查發現早期肝癌根本就是不可能的
但し、超音波検査で、早期肝がんを発見する事が可能です。
但是如果配合上超音波檢查就有可能可以發現
この場合、甘い思考で、肝機能検査を受けて、何にも分かるのは、
在這種時候,若卻只是天真的想說做了肝指數檢查就什麼都可以知道,
おかしく思いませんか?
不覺得很奇怪嗎

したがて、如何しても完璧な健康診断を過言できません。
總而言之不管你怎麼做都沒有所謂的完美的健康檢查
疑いがあるこそ対応できる検査があります。
因為有懷疑才有對應的檢查
疑いがないと、自腹の健康診断の必要性もなくなります。
如果沒有懷疑就連自費健檢的必要性也就消失了
勝手に検査プランを使って、勝手に異常なしを自分にごまかして、
隨意的挑了檢查套裝,任意地拿正常的報告呼弄自己,
誤診することも自分の責任になります。

那麼誤診的責任當然也就只有自己扛了。

2013年10月18日 星期五

時間の意味


ここは、どこと思います?
你覺得這裡是哪裡呢?
ここは、お寺の臨時Wifiエリアでした。
這裡是某個寺廟的臨時上網區
Wifiって、なのためですか?
臨時上網區?要用來幹嘛?
最近、台湾は、インターネットで宗教百景の選抜投票活動があるので、
最近台灣正在舉辦網路宗教百景票選活動
この寺は、人気を集めため、このエリアを用意し、
這個寺廟為了衝高人氣而準備了這個臨時上網區
参拝に来る人達に提供して、投票させもらうつもりでした。
提供給來參拜的信眾可以順便為自己投票
投票してくれた人には、景品が手に入れます。
對這些有完成投票的人還提供的紀念品
そこまでも、大勢な人は
就算作到這樣了 大多數的人仍然用
“面倒くさい”“時間がない”と言うわけて、断りました。
好麻煩””我沒空等理由來拒絕配合這件事情

ある土曜日は旧暦の15日でした。
某個周六是農歷的15
お寺へ参拝に行かないと行けない日なので、行きました。
因為是一定要到廟裡進香的日子所以我就去了
よく、手一杯な病院の作業があって、参拝の時間は夜しか出来なかった。
通常因為醫院的工作總是一堆,能勻出拜拜的時間只有晚上
珍しい土曜日うえに、ちょっと仕事はそんなに込んではなかったので、
因為是難得的週六,更難得的事工作也還算不是很忙碌
午前中で、参拝に行きました。
所以刻意挑了中午前去拜拜

病院の中で、太陽や風でも感じられない恒温生活に慣れた私、
在醫院裡,習慣了感受不到日曬與刮風的恆溫生活
お寺への参拝路で歩いて、暖かい日差しと涼しいそよ風を味わっていました。
在前往寺廟的石板路上,感受起難得的暖日與涼風
参拝路は、新しい枕石の上に歴史感がある木ベンチがある。
石板路,在新的石板上放置了幾張看起來很有歷史感的木頭長凳
ただ今の私は記憶中の昔の私と同じ道を歩いて行きました。
現在的我也與過去記憶中的我一起在這條路上行走著
太陽の光線と風の軌跡が縦と横に交差していた織物の上に、
太陽光線與風的軌跡綜橫交織的卷軸上
私は、時間と足音を操って、めぐり織っていた。
我帶著時間與足音來回穿梭
こんなのんびりしていた私、本当に久しぶりでした。
這樣閒散的我,真的是很久沒見過了

お寺に踏み込んだと、確かに別世界に辿り付いた感じがされました。
但當我一踏入寺廟,我卻覺得我到了與剛剛截然不同的世界
慌ているや込んでいる姿、夢中や雑念している面影、気絶させる匂いなどが
或是慌張或是紛踏的人潮、或是專心或是雜想的面容、伴隨著令人窒息的氣味
私の目の前に掛け来ていました。
紛杳迭踏地衝向我而來
いやいや、これは安らぎに与える宗教場所と言うより、
要說這是個帶給人安祥的宗教場所
ビッグセールの催事場の方が適切な表現でしょうか。
更不如說是大促銷的拍賣場更貼切
土曜日なのに~お寺くせに~
明明就是禮拜六! 明明就是寺廟的!
こんな私は、パッと思い出したのは、もしかして、昔の私も
這樣的我不禁想起,莫非以前的我
この目の前の騒ぎの人影たちの一つでしたか?
也是如我眼前這一群騷動的人群一般嗎?
耳に寄せた他人の言葉は、ほぼ
充斥在耳邊的幾乎都是
“急いで、また他の用事があるから!”と言う発言でした。
快一點啦!等等還有其他的事情要作的話語
みんなの土曜日は、平日のように、猛ダッシュしていましたか?
難道大家的禮拜六也跟上班日一樣衝刺般的過活嗎?
おかみさまにもゆったりと時間を渡せたくないでしょうか?ケチですね~
就連給神明一些充裕的時間也不行嗎? 真是小氣啊
私に言わせれば、こんな参拝はなくでも同じでしょう。
要我說的話,這種拜拜方式不如不要拜好了
こんな態度で、神様の庇護を求められますか?
這種態度也好意思說要求神明的庇佑嗎?
こんな人達にとって、時間の意味はなんですか?
對於這些人來說,時間的意義是什麼呢?
あちこちで、ちょこちょこ散し舞りのは、効率と言えますか?
這邊那邊地到處灑一點,這樣叫做有效率?
平日なら言えるかも、休日までもそう過ごすと、
上班日也就算了,休假日也這樣子過的話
本当に休暇の意味がありますか?
那還叫做休假嗎?

このシーンを見て、病院の患者さんの無関心な態度も
看到了這樣的場景再回頭想起醫院中那些擺出不在乎健康的病人的態度
何となく理解し易くなってきました。
似乎就更容易理解了


2013年10月17日 星期四

台湾の祭りの二三事


三年前の夏、医局に派遣されて、台湾の南部、高雄の田舎、
三年前的夏天,受到家醫科的派遣,到台灣的南部,高雄的鄉下地方
田寮区へ医療勤務の支援に行きました。
田寮區去進行醫療勤務的支援。
赴任の初日、衛生所(註1)に
到任的第一天,衛生所就跟我說
”今日は、祭りのせいで、誰でも診療を受けに来ないはずから、帰ってもいいよ”と言われました。
今天因為有地方廟會的關係,應該不會有人要來看病,所以你可以回去了。
われわれ家庭医学専門医は、新たな地方で医療を始まる前、
對於我們家庭醫學科專科醫師來說,要在一個新的地方開始從事醫療以前,
地方の文化と生活習慣などを調査しないといけないと先輩から教えられたので、
一定要先對地方文化與生活習慣進行了解。
”帰ってもいい”と言われ私は、帰るより田舎散策に行きました。
所以雖然我是被講說可以回去了,我還是選擇到田寮鄉間走一走
そして、このキラキラな亀と出会いました。
於是才有機會目睹這隻金光閃閃的烏龜。

祭りと言って、地方にとって大事なお神さまの誕生日です。
說是廟會,對於地方來說其實就是重要神明的生日派對啦。
恩返すため、お寺の庭で、この亀の模様の献上物を用意します。
為了報恩,在寺廟的庭院裡,就會準備上這樣像烏龜一樣的貢品。
でも、これは献上物として存在だけではなく、住民への援助する意味も含まれています。
但是像這樣的東西不是只作為貢品,也同時有對地方居民援助的意味存在。
昔、このような亀は、米俵を使って、積み上げた。
以前像這樣的烏龜,是用米袋一袋一袋疊起來的。
これを欲しい住民達は、お神さまの前に請託します。
想要這些米的民眾,就必須到神明的面前去請託。
請託の方法は、”擲筊”(ジジャオ)と言われます。
請託的方式,叫做筊。
”筊”は、木や竹を使って、立体な三日月の形にする。
筊是用木頭或竹子所做成立體的新月狀。
陰面(裏)と陽面(表)がある同じ物を二枚にペアとしる物です。
成為具有正面與反面的兩件相同物體成為一對。
請託の時は、この筊(ジャオ)を地面に投げて、一枚は陰面、もう一枚は陽面になると、
請託的時候,把筊拋到地面,如果呈現一正一反的情況,
お神さまの同意を貰えるという意味になります。
就表示神明應允的意思。
この状態は、台湾で聖杯と言われます。
這個狀態,在台灣叫做聖杯。
ですから、簡単に言うと、住民達は、お神様の目の前に、聖杯のコンボ数を勝負します。
所以簡單說這些居民在神明面前就是在比誰可以連投出最多的聖杯。
一番多くなコンボ数がある住民は、この米俵の亀を貰えられます。
可以連投出最多聖杯的人,就可以領走這尊大米龜。
だたし、この住民は来年で、貰った量より多い米俵を提供するべきです。
但是這個贏家明年就必須提供比他領到的量更多的米袋。
ちょっと銀行の借金気味ですね。
所以有點像是跟銀行借錢的感覺吧!
でいう事は、年々過ごしつつ、この亀はだんだん大きくなっていきます。
於是乎理論上一年年過去,這尊神龜會越來越大。
でも、いつか大き過ぎる亀になる可能性があるので、
但是總有可能大得太超過,
ある米俵の値段と同じ他の代用品が現れた、画面のように、亀の上にある金の飾り物です。
所以就出現了等值於米袋的替代品,就像畫面上顯示的那些裝飾用的金飾了
一方、米俵を貰えるのは、お神様の祝福を貰えることと一緒なので、
一方面,能拿到這些米袋,也被認為能拿到神明的祝福,
この亀を求める動機は決して、”お金が欲しい”と言うことだけではありません。
所以說到去請託這尊神龜,絕對不是只是為了錢這樣簡單
何年前、ある外人は気を乗って請託したと、この亀を稼ぎました。
也曾有外國人覺得有趣就去請神龜,結果居然就賺到了這些東西
でも、この方は、翌年でまだ新しい亀を提供したのかな?
是說不知道這位幸運兒隔年是不是真的有來還呢?

機会があれば、台湾の祭りの面白さを体験してみませんか?
若是有機會的話,要不要來體驗看看台灣的廟會的有趣之處呢?

(註1)台湾の地方の衛生所は、日本の国保診療所と医療保健課を合併された地方医療単位と思います。